巡る夏は初めての夏
私は子どもの頃から海も山も好きです。
林間学校や臨海学校というイベントも楽しいですが、少人数の仲間と出かける小さな旅行は記憶に残っていることが多くて、いまでもたまに思い出します。
どんなに注意していても、思いがけないアクシデントに見舞われることがあると思うのですが、だからこそ気を引き締めて計画したいなあと。
ときどき、『あ。なんか、ゆるんでるかも』という空気を感じることって、意外とあります。
ベテランだろうと、慣れている人たちだろうと、注意深さは初心が大切です。
自然を前にしたときの、「きれいだなあ」という感動と、「なんかこわいなあ」という畏怖は、どちらも重要。どんなに年齢を重ねても、最初の感動と畏怖は覚えています。
いままでにどのような夏を過ごしたのだとしても、今年は今年。毎年、初めての夏を経験するのですから。
夏は巡ってきます。一年に一度。でも、まったく新しい夏です。
浮き輪の思い出
思春期もしくは中二病の季節に、海は身近な存在でした。
いつものように泳いでいると、いわゆる離岸流にのってしまったようで、どんどん沖へ。
あせりました。
理屈では『遠く離されてしまうけど、離岸流の流れが終われば波に乗って戻れる』と知っていても、どんどん遠くなっていくときの不安は止められませんでした。
そんなとき、たまたま浮き輪と浮きボードで遊んでいた同級生の女の子に遭遇。
「やあ」と声をかけつつ、しっかりと浮き輪をつかんでしまいました。
「やあ」
「久しぶりだね」
「元気そうじゃん」
「うん。そっちは」
「しばらく一緒にいてもいいかな?」
「別にいいけど。足つった? まさかね!」
その頃は「まだ浮き輪で遊んでるのかよ」みたいなことを言ってしまったりしていたんですよね。でも、あのとき瞬時に理解しました。むしろ大人も浮き輪でいいよ。
学校の授業とかで競泳や遠泳をするのはしかたないですが、休みの日に遊ぶのなら好きなように好きなモノを使えばいい。うん、その浮き輪もボードも最高だよ。と、頭の中で叫びながら近づいて行ったのです。
そのまま夜の花火も一緒に観ました。
「海、おもしろかったね~」と言われて、
「ああ。うん。最高!」と言いつつも、なんか離岸流あれヤバかったな。と思ってしまったり。
つい、「浮き輪もいいものだね」と話すと、
「でしょでしょ? 絶対いいって」
「うん。楽」とか、なんとか。すると、
「浮き輪が急にエンジンふかしたみたいに加速するときあるんだよ」と、彼女が話し始めました。
「へえ?」離岸流のことかな、とチラリ思っていると、
「思いっきり岸から遠くなって、それで突然ぱっと沖に放り出されるんだよ」
「ちょっとコワイな?」
「なんで? 楽しいし気持ちいい、笑えるよ」
思わず笑い返したと思うけど、笑えませんでした。
離岸流。
まじでコワイ、と体が実感してしまっていたのです。
気持ちとか心とか頭というよりも、体が『なんかヤベ』と反応してました。
そんなことを、いまでもふと、思い出すことがあります。
社会人になってからは、フルーツ型とかイルカや魚とか、やたら大きい浮きものを気軽にレンタルするようになりました。仲間内ででかけるときは、率先して「あれ借りようぜ」って言ってます。
自分に限らず、水の事故はいやですから。
水に浮く遊具は、いろいろあります。浮き輪、ボード、ビーチボール。安全面では浮き輪が最強ですね。がっしりつかめて、離さずにいられます。
安全に夏を楽しめますように。
海のもしもは、118番です。
安全第一 もしものときはスピーディーに
海開き、山開き、夏のレジャーいっぱい。
なによりも安全第一ですよね。
すてきな夏を! VIVA!!
written by 水瀬次郎