とにかく繰り返し繰り返し、鳴り響いていた。
その音楽の名前は、「バージンブルー」
SALLYという名のバンドだった。
サックスの音色は、清涼感という感じがしなかったけど、
蒸し暑くて汗だくになってしまって、
でもそれが快感!
みたいな?
暑い夏に冷房を求めるのもいいけれど、
暑いからこその暑さが心地いいことって、
あるじゃないですか。
ありませんか?
Green Planetさんによる写真ACからの写真
1984年の夏、
炭酸飲料を買うのにも「決心」が必要だった。
限られた予算、
財布の中身は、それなりにあったとしても、
あれもこれもと買っていれば、
あっというまに消滅してしまいそうだった。
高校生の頃の小遣いは、
喫茶店で飲むコーヒーに換算すると、
15杯ぶんくらいだったか。
記憶をたどるのは、かんたんじゃない。
でも、
なにかの拍子で記憶がよみがえるときは、
「思い出」というより、
まるで現在進行形の映画を観ている気分。
ちょっと他人事のようにも思える。
客観的になっているんだろう。
俯瞰しているのかもしれない。
そもそも、そんな記憶は無いかもしれない。
うん。
妄想なのかもしれない。
それならそれでもいいや。
あの夏は、
もう誰にも『うんうん、そうだったよね』
と、相槌をもらえるようなものじゃなくなってしまったから。
kenvaughanさんによる写真ACからの写真
仮に。
当時の仲間たちと再会したとしよう。
思い出話に花が咲く。
だろう。
でも、
それって、どこまで本当かな。
って疑い出したら、
なんの根拠もなくなってしまいそうだ。
仮に。
『ほら、動画を撮っておいたよ。見ようよ』
ってなったとしたら。
見るだろうな。
違和感もあると思う。
全部が全部、
本当のことではない。
の、かもしれない。
だからこそ、
思い出すことを楽しんでいられるんだと思う。
これは間違いない。
楽しんでいるということじたいが、
不自然だ。
都合の良い解釈になっているに違いない。
と、
思う。
いつもすぐ近くで、バージンブルーが流れていた。
決して、飽きることのないメロディー。
歌詞もよかった。
違和感なし。
kenvaughanさんによる写真ACからの写真
いつもすぐ近くで、バージンブルーが流れていた。
ああ。
なつかしい顔が思い浮かぶ。
でも。
ぜんぜん違う顔なのかもしれない。
だって、
自分自身が、
完全に別人のような姿で見えてしまうし、
それに対しての違和感もないから。
記憶は映像化され、
物語は都合よく新解釈がなされている。
映像は、
思いのまま。
役者は揃っている?
うん、かつての仲間たち。
毎日ずっと会い続けていた、仲間たち。
役者が別人になってリメイクされた映画のようだ。
それでも、バージンブルーは変わらない。
いい曲。
それだけ。
それだけ、だからそれがいい。
バージンブルーは変わらない。
これからも。
でも、
記憶は自由気ままに変わり続けてしまうんじゃないかな。